どうせなら「馬鹿」でありたかった
どうも、たけみです。
最近ほんとよく思うんです。
中途半端な賢さより馬鹿であった方がどれだけ幸せだったろうと。
なぜそう思うか経緯を書いていきますね。
馬鹿な方がもやもやが少ないと思う
頭が変に回ると、余計な事まで考え出してしまって頭が痛くなったり、余計な心配ごとを自分で増やして不安がったりとかがあると思うんです。
頭がよかったり、賢い人って周りの状況から最善策を咄嗟に出してテキパキ行動できたりできる。
だから思い悩む暇とかはあんまりないかもしれない。知らないけども。
でも、中途半端な頭の良さ(テストの点は取れるだけとか)ってやることも中途半端だったりするからテキパキも動けないし、失敗を恐れ、思い悩む。
馬鹿であれば、失敗を繰り返してもちゃんとできるようになるし、失敗をあまり恐れないから行動できる。
思考がシンプルであれば生きやすいのかもしれない
馬鹿な人って「よく分かんないけど、やれって言われたからやるぜ!」ってなるじゃないですか?
でも、そうしたくてもできないんですよね、私は。
やる必要性があるかないかも気になるし、できたら効率よくやりたいから考えるんだけど、そこまで賢くないから時間だけが過ぎるだけで、やり出しが遅くなってしまったり。
これならこの悶々と悩んでる時間、行動に移せていれば早く終わっていたのにとか思ってしまったり・・。
無駄に悩みすぎてストレスは溜まるし。
あー、気楽に生きるには中途半端な頭は邪魔に感じる。
中途半端=成長途中
中途半端な頭の人は「どうすりゃええんじゃ」ってなるかもだけど、中途半端はそれなりに意味があるんだ。
中途半端って言葉を変えれば、成長途中なんだと私は思う。
素人ではないけどプロでもないアマチュアみたいな感じでさ。
で、突き抜けるとプロになれるんだよね。
そう考えると今しんどいなとか、もうやだ死にたいとかって思うけど、「ああ、これは突き抜けるための助走なんだな」って思えたらこっちのもん。
とりあえず今のことに集中していれば大丈夫なんだと安心できる。
だから、中途半端も悪いものではない。
はず(笑)
まとめ
中途半端な私を慰めるべく書いた記事でした。
特に頭の出来に関して、中途半端だなぁと思うことが多かったので、 書いてみました。
子どもから大人になる時とか、何かの変わり目とかで思うことが多いと思うんだけど、マイペースに頑張っていきたいですね(笑)
中途半端な自分嫌だなぁって人に届くといいなぁ。
最後まで読んでくれてありがとう!