社会不適合者たけみの少し自由すぎる妄想

真面目系クズの甘ったれた考えや、反省の日々を綴る、自己満足備忘録

親も恋人も他人だよね?これって当たり前でしょ?

どうも、変り者のたけみです。

 

最近「毒親」とかってのを見るたびに

「身内だろうが個々人、みんな他人なのにな~」って思ってしまうんだよね。

 

もちろん、そういう風に考えられるほど

心に余裕がなくて、切羽詰っているから

苦しいし、大変なんだろうなとは

思うわけだけど。

 

私は毒親でない割と普通な親のもとに、

運よく生まれたので

毒親に苦しんでる人の気持ちは、

理解できても共感はあまりできないわけで。

 

話が逸れてきちゃった(笑)

 

え~っと、今回は

「他人は他人、自分は自分」

について考えてくよ~。

 

 

究極でもなんでもなく「みんな他人」

 

たとえ血がつながっていると言ったって、

考え方、人格、自我っていう

その人をその人たらしめるものって

どう頑張っても他の人と同じには

ならないよね?って思う。

 

いくら同じ環境で育とうが、

感じ方、考え方は違うし、

身体の組織がほぼ同じな

一卵性双生児であっても、

性格までまるっきり一緒か?って言われたら

「そんなわけないだろ」っていうでしょ?

 

なのに、血がつながっている、

他の人よりずっと一緒にいる時間が長い

といった理由だけで、その人のこと

何でも知っているように思うのは

滑稽だなって思う。

 

 

否定される筋合いなんてない

 

100%まるごとその人のことを

知ることは出来ないはずなのに

あれこれと、さも私のすべてを

知っているかのように

否定したり、従わせようとしたり。

 

そういう事されるたび、私は心の中で

「所詮は他人、赤の他人」

と唱えるようにしている。

 

自分でも認めている悪いところや、

納得できることには

「そうだね」って素直に認められる。

自分が納得できないことに関しては

「それは納得できない」って

意見したくなるし、していいと思う。

 

その意見することを「反抗だ」だの

「裏切りだ」だのと

怒って聞き入れないことの方が問題で、

困るんだよなって思う。

 

ただ、そういう人って

自分の意のままに動かせる

人形が欲しいだけなんだよな。

 

だからこそ、自分を守るためにも

「結局のところ他人なのだから

分かり合えない人もいる」

と思っておかなければ、

この窮屈な日本社会で

生きていくにはなかなか

苦しいのではないかな?って思う。

 

まとめ

どうあがいたって

自分を受け入れてくれる人、

否定する人、

好いてくれる人、

嫌いな人っているわけだし、

それであーだこーだ悶々と悩んで

心擦り減らすより、「他人だしね」って

割り切って考えられる方が

ずっと賢くて気楽な生き方だと思う。

 

まぁ、私も人間関係悩んでないかって

言われるとどうしても割り切れなくて

悩むときはある。

 

でも、「他人だ」って意識を持ってからは

あまり引きずることはなくなったのも事実。

 

それだけでだいぶ生きやすくなったので、

苦しんでる人にはそういった意識を持つ

癖付けをして欲しいなって思います。

 

今回はここまで。

読んでくれてありがとう!