社会不適合者たけみの少し自由すぎる妄想

真面目系クズの甘ったれた考えや、反省の日々を綴る、自己満足備忘録

常識なんてない

どうも、しがない人間のたけみです。

 

よくよく見てみたら前回投稿した記事と

内容が大分似ていると思うんですけど、

微妙に違うので(たぶん)

構わず投稿することにしました(笑)

 

意識、という面では同じことだったなと

新たな発見に繋がったので良しとします!

 

 

それでは本題に。

 

世間とか社会とかって、ざっくり言うと

人間の一つの大きい集団のことだと

思うんだよね。

 

集団って必ず自然とルールとか基準とかが

できるのは想像に難くない。

この、自然発生するルールとか基準が

“常識”なんだと私は思うんですよ。

 

今回はその“常識”についてふわふわと

考えてみたいと思います!

 

私たちの行動の基準=常識

あなたは人にぶつかった時、

どういう行動をしますか?

咄嗟に相手に「すみません」

って言いません?

 

それってなんで「すみません」

って謝罪するんでしょ?

 

私が思うに、社会の中で円滑に生活する上で必要なコミュニケーションだから、

謝罪するんだと思います。

なんだ、当たり前じゃないかと

思いましたか?

 

でも、そういったことを知らない、

教わってない人にとっては

当たり前じゃないんですよね〜。

 

例えばご飯はお箸で食べるのが常識だ、

と言う人もいれば、

いや、スプーンで食べるのが常識だ、

と言う人もいる。

 

ね、常識って私たちの行動の主な理由

なのに、バリエーションに富んでいすぎて、常識って統一されていないことに

気づきませんか?

 

常識なんてない

つまり、常識、なーんて言うけど、

そんなものこの世の何処を探したって

出てこないものなんですよ。

 

大きな常識、例えば宗教だったり、

法律だったりとかって、

国や人によって違うものじゃないですか。

もうその時点で、世界共通の常識って

存在しないことが分かると思います。

 

しかも、すべて完璧に守っている人とか

ほぼいないと思います。

なにかしら、妥協しないといけない場合とか

常識内に収まらない事態だって発生する

と思うので。

 

大きな枠組みでさえこうなのに、

家庭レベルの小さな常識はどうでしょうか?

 

自分が常識だと信じてやまないものが、

実は他人の常識じゃないことの方が、

当たり前のように感じる不思議。

 

だから私は常識に囚われたくない

言い換えれば、「当たり前に疑問を持つ」

になると思います。

 

当たり前っていう言葉は便利ですよね。

常識というのとほぼ同じ意味合いでも

使えて、でも常識よりフランクで、

軽い気持ちで相手に自分の価値観を

押し付けられるスタンプみたいな言葉。

 

上記の文章から分かるように私は

「当たり前」という言葉はあまり好きでは

ないです。

これが当たり前、これが常識とか

言われるだけで、それに該当しない人

(マイノリティー)のことは相手にされない、耳を傾けてもくれない。

いくら「そんなことしてない」

と言っていても、知らず当たり前を

強制しているし、心で「非常識だな」

と少なからず思っているわけで。

 

多様化している現代において、

その対応はどうなのかな?って

ついつい考えてしまうんです。

 

だから、常識に囚われない素直さで、

人に接したいと思うんです。

私がそうして欲しかったから。

 

めちゃ簡単に言うと否定したくないんです。

別に肯定しなくてもいい、けれども「そういう人もいるよね」って認めてあげたい。

 

それだけで、もう少し生きやすく

なるんじゃないかなぁって甘い考え(笑)

 

でもほら、肩の力くらいは抜けるでしょ。

 

常識に囚われないって

そういうことだと私は思う。

 

今回はここまで。

読んでくれてありがとう!