社会不適合者たけみの少し自由すぎる妄想

真面目系クズの甘ったれた考えや、反省の日々を綴る、自己満足備忘録

やりたくないことはやらなければいいのだ

どうも、人間失格なたけみです。

 

複雑な人間社会に心を押し潰されるより、シンプルな動物社会で本能的に生きたい今日この頃。

 

人には平和に生きるために、やることが山ほどありますよね。つまり、ルールがたくさんあるってこと。 

他の動物とは違い、無駄に発達した脳みそによっていさかいが生じやすく、ほっとけば殺し合うほどにまで争ってしまうからだと思います。

 

また、便利に生きるためにどんどん仕組みを作っていったので、逆に面倒が増えたこともあるのではないかとも。

 

前置きなのか、前置きじゃないのか分からなくなってきましたが、今回の話は「やりたくないことはやらなくてもいい」について。

 

 

やりたくないこと、やらなければならないこと

やりたくないことは誰だってありますよね。

多くの人は、そのやりたくないことをどう捉えているかによってやるかやらないかを決めていると思うんですよ。

 

例えば、学校に行くこと。

世間一般には義務です。なので、行きたくなくても行かないと、と思うのです。

 

でも、そう考えない人はどうでしょう?

別に行きたくないなら行かなければいいと思えるんですよね。

 

そう、その違いだけで、なんと生き方が180度も変わってしまうんです。

前者は真面目、後者はクズだと思われる。

 

で、真面目系クズという、上記のハイブリッド型な私はどうかというと、一定のライン(そこまでやりたくないと思わないかどうか)によって変わります。

 

学校は行かなくては。

けど、仕事はやりたくないならやらなくてもいいや。

洗濯は毎日しなくては。

でも、掃除は毎日じゃなくてもいいや。

 

こんな感じになります。

もちろんこれは、私の真面目系クズの説明であって、一般的な真面目系クズの説明ではないので、ご了承ください。

 

外っ面は良くて一般人に擬態できるけど、家の中ではクズ野郎だったり、その逆もあるのかもしれないし。

 

で、結局何が言いたいのかというと、やるやらないの物差しは自分の価値観だってこと。

 

常識というでっかい物差しもあるっちゃあるんだけど、それを物差しとして使うかどうかは自分次第でもあるのよって感じかな。

 

だから、常識でみたら仕事はするべきものなんだけど、私は「いや、したくなきゃしなくてもいい」となる。

 

だから、私は私に従って、働きたくない人生を歩もうとしているんだと。

 

よく「私が仕事辞めたら多くの人に迷惑がかかるから辞めたくても辞められない」と言う人がいますが、自分1人が周りに与える影響なんてたかが知れてるし、変に考えてモヤモヤするのはなんか違うと思う。

それに、自分の発言や行動によって他人が死んでしまう程、影響力がある人物になってから考えればそう遅くもないとも思うんです。

 

 つまりごちゃごちゃ考えて辛いのなら、素直に自分に従えばいいってこと。

割と人生はなるようになるし、勝手にどうにかなるし(笑)

 

まとめ

働き蟻もいれば怠け蟻も一定数いるって聞いたので、やりたい人がやればいいんだよ。

 

それにやりたくなくてもやってしまう人も、一定数出てくると思うから結局バランスとれるものだと思うんです。

 

 大丈夫、どうにでもなる。

あなたのやりたいように取捨選択すればいい。