社会不適合者たけみの少し自由すぎる妄想

真面目系クズの甘ったれた考えや、反省の日々を綴る、自己満足備忘録

日本人は真面目に心を擦り減らす天才だ

どうも、たけみです。

 

ニュースで鬱とか自殺とか出てきてももう驚かないですよね。

そういった言葉が当たり前に聞こえるほど、荒んだ世の中になっているのかなぁと思うこの頃。

 

どうもこれは日本人特有の神経質で真面目なところにも原因はありそう。

 

てことで、今回は「日本人真面目すぎてヤバいね」ってのを、同じ日本人だけど日本に息苦しさを感じている私、たけみが超個人的解釈で考えていきまっす!

 

 

日本人の基本スペック

 

まずは日本人ってどんなイメージあんのかなって考えてみる。

  • 真面目
  • 礼儀正しい
  • 時間厳守
  • 綺麗好き
  • 謙虚
  • 自己主張はひかえめ
  • 親切

などなど今思いついた限りはこんな感じ。

まぁ、時代錯誤も多少あるだろうけど、大まかにこんなイメージあるなーって思いません?思わないかぁ(笑)

 

でも、学校で求められる理想ってこんな感じ。

こんな人になれって国から教育されて初めて「あ、自分日本人なのか」って認識して、「いい子(=理想の日本人)にならないと」という意識が生まれるんじゃないのかなぁ。

 

ひねくれた社会不適合者からみれば「使い勝手のいい従順な奴隷」で、本人は自ら進んでその奴隷になってくれるのだから、なんだか「セルフ奴隷」って感じ。

 

もちろん、そのスペック自体には何の否定もないし、憧れるし羨ましいのだけど、ただ社畜という言葉が流行るくらいには、労働者にするには最適すぎるスペックなんだよなぁ。

 

 

特に「真面目」が過ぎる

 

これのおかげ様で鬱っぽくなるんだよね~。

真面目ってことは些細なことでもしっかり受け止めて対処しようとするし、課題はなんであれ手を抜かずにやりきろうとすることだと思うんですよ。

どんなことにも本気で取り組む姿勢って感じ。

 

でも、あまりに根を詰め過ぎたりすると、うまく気を緩められなくて自分で自分の首を絞めている。

 

多くの人はうまく切り替えができるし、発散する方法も持っているから大丈夫だろうけど、そういうのが下手な人もいるからいろいろ辛くなって鬱々としてしまうのだろう。

 

真面目すぎるのは体に毒だし、しかも自分では気づきにくいから、体調に変化が出たら本当に注意してほしいと思います。

 

 

神経質な人が多いから余計に心を消費してる

 

本気になると細かいところにまで神経を使うようになるから、普段の時でもつい細かいところまで気になってしまう人っているんじゃないかな?

 

で、そういう神経質な人って時によく分からない地雷を持っていたりするから、地雷を避けようと気を遣ったり、遣われたりと地味にストレスがかかるな~と思います。

 

あと、人に良く見られたい、世間体を気にするのも余計に心を擦り減らしている要因ですよね。神経質な人にはこういうタイプもいますね。

 

私も一時期人からどう思われるか不安で、自分の行動すべてに神経を巡らせて勝手に疲れる、なんてことしてました(笑)

 

これがエスカレートしていくと、特定の人(大抵自分の苦手な人)を見ただけで極度の緊張で吐き気がするようになり、頭痛と腹痛に悩まされるので、神経質になりすぎるのはやめておいた方が身のためですよ~。

 

 

まとめ

 

結論、みんなもっと気楽に生きようぜ~ってこと。

思い悩みすぎて鬱とか自殺とかになる前に、何も考えずいっぱい寝てみればいいと思う。

あれしなきゃ、これしなきゃって追い詰めるのが得意な分、自分を追い詰めすぎる癖があるのが日本人っぽい。

迷惑とかかけとけ!

かけた分誰かが辛い時、迷惑を引き受けてあげればいいんだから。

 

助け合い精神で行こう。

最近そういうの減っている気がするから・・・。

 

肩の力抜いて生きいこ!

 

親も恋人も他人だよね?これって当たり前でしょ?

どうも、変り者のたけみです。

 

最近「毒親」とかってのを見るたびに

「身内だろうが個々人、みんな他人なのにな~」って思ってしまうんだよね。

 

もちろん、そういう風に考えられるほど

心に余裕がなくて、切羽詰っているから

苦しいし、大変なんだろうなとは

思うわけだけど。

 

私は毒親でない割と普通な親のもとに、

運よく生まれたので

毒親に苦しんでる人の気持ちは、

理解できても共感はあまりできないわけで。

 

話が逸れてきちゃった(笑)

 

え~っと、今回は

「他人は他人、自分は自分」

について考えてくよ~。

 

 

究極でもなんでもなく「みんな他人」

 

たとえ血がつながっていると言ったって、

考え方、人格、自我っていう

その人をその人たらしめるものって

どう頑張っても他の人と同じには

ならないよね?って思う。

 

いくら同じ環境で育とうが、

感じ方、考え方は違うし、

身体の組織がほぼ同じな

一卵性双生児であっても、

性格までまるっきり一緒か?って言われたら

「そんなわけないだろ」っていうでしょ?

 

なのに、血がつながっている、

他の人よりずっと一緒にいる時間が長い

といった理由だけで、その人のこと

何でも知っているように思うのは

滑稽だなって思う。

 

 

否定される筋合いなんてない

 

100%まるごとその人のことを

知ることは出来ないはずなのに

あれこれと、さも私のすべてを

知っているかのように

否定したり、従わせようとしたり。

 

そういう事されるたび、私は心の中で

「所詮は他人、赤の他人」

と唱えるようにしている。

 

自分でも認めている悪いところや、

納得できることには

「そうだね」って素直に認められる。

自分が納得できないことに関しては

「それは納得できない」って

意見したくなるし、していいと思う。

 

その意見することを「反抗だ」だの

「裏切りだ」だのと

怒って聞き入れないことの方が問題で、

困るんだよなって思う。

 

ただ、そういう人って

自分の意のままに動かせる

人形が欲しいだけなんだよな。

 

だからこそ、自分を守るためにも

「結局のところ他人なのだから

分かり合えない人もいる」

と思っておかなければ、

この窮屈な日本社会で

生きていくにはなかなか

苦しいのではないかな?って思う。

 

まとめ

どうあがいたって

自分を受け入れてくれる人、

否定する人、

好いてくれる人、

嫌いな人っているわけだし、

それであーだこーだ悶々と悩んで

心擦り減らすより、「他人だしね」って

割り切って考えられる方が

ずっと賢くて気楽な生き方だと思う。

 

まぁ、私も人間関係悩んでないかって

言われるとどうしても割り切れなくて

悩むときはある。

 

でも、「他人だ」って意識を持ってからは

あまり引きずることはなくなったのも事実。

 

それだけでだいぶ生きやすくなったので、

苦しんでる人にはそういった意識を持つ

癖付けをして欲しいなって思います。

 

今回はここまで。

読んでくれてありがとう!

責任を負うことについて考えてみる

どうも、チャランポランなたけみです。

 

あなたは、責任ってなんだと思う?

大体なにか失敗したら「責任を取る」

とかって言うよね。そう、その責任。

 

 責任の意味は

「その立場上負わねばならない任務や義務」

ということだそうで。(Google先生より)

 

はっきり言ってこんなの負いたくないよね。私は嫌だなぁ。

 

でも、責任から逃れることは誰もできないんだよねぇ~。

 

 

行動と責任は運命共同体

 

私たちは行動しなければ生きていけません。(真顔)

呼吸し、食事し、仕事をし・・

その全てが行動。

そして、小さくしょうもない行動でも

責任がある。

 

全て「自分のせいで」ってつけたら

分かりやすいのではないかな?

ネガティブな言い方だけど、

全ての行動の原因は

行動する自分自身なんだってことが

分かると思う。

 

 

責任は気持ち次第

 

ああ、責任感じたくない!

っていう人ももしかしたら

いるかもしれないけど、(私のことだな??)

まぁ、大人はそういうものだから、

割り切ってさっさと気持ちを切り替えた方が

賢い生き方かなぁと思う。

 

責任を負わないで生きてしまうと、

人からの信頼がなくなっていくのだ。

 

失敗した責任を問い詰められた時に、

言い訳ばかりで責任逃れをする大人。

なんかみっともない。

 

逆にある程度責任を負える人は、

信頼度は高めでしっかりした人だという

印象を感じないかな?

 だから気持ちを切り替えてでも

責任を負える人になれた方がお得だと思う。

 

 

責任感に惑わされすぎない

 

でも、責任感じすぎて胃に穴が開くのは

避けたいよね。

一気にストレスかかる責任者とかは、

常に胃がキリキリしてそう・・。

(個人の妄想)

 

責任取りませーん!っていう態度は

もちろんダメだろうけど、

外っ面は良くして、

心ではのほほんとしていれば、

そう身体に負担もないかな〜

なんて思ったり。

 

難しいけど、

仕事とプライベートのオンオフができる人は

ストレスを溜め込まないで

うまく発散できるだろうし、

演じるのが得意な人は

器用に生きれるだろうし。

 

私はどちらもできないから、

毎度死にたくなるけどね(笑)

 

あなたも、頑張りすぎず程々に気を抜いて

責任社会を生き抜いてくださいね。

 

今回はここまで。

 読んでくれて、ありがとう!

そうだ、夢追いかけよう

どうも、たけみです。

 

久しぶりの記事になっちゃいました(笑)

なんでかっていうと、ここ最近ずっと

「私は何がしたいのかな〜」って、

考えて考えて休んでまた考えてたから。

 

そして、たまたま読んだ

ネットビジネスの本に

「自分の強みで勝負するべきだ」

と書かれていたことをきっかけに、

自分の強みを探してみたりしていました。

 

たどり着いた先は、褒められた思い出。

褒められた=自分の得意分野

だと思ったので。私は絵と字でした。

 

進学の際に「芸術の道に進みたい」

と思いながらもどこかで諦めてて

親の言いなりになってしまっていた

過去の自分を今更責める訳でもなく、

ただ想い行き着く先は

やはり決まっているもんだなって

感じました。

 

絵で食っていけると思ってんのかとか、

仕事したくないだけだろとか

色んな意見があるけど、

私はそういった

周りの意見に流されるような自分は

もういらないなぁと思ったりして。

 

結局嫌になって言い訳してしまう

弱い自分を追い詰めるためにも、

周りの常識とかひとまず考えないで

行動しよう、と決意。

 

まだ何から始めたらいいか

分からない状態だけれども、

毎日絵と字の練習はしようと決めた。

もちろん、ブログの更新と共に。

 

これが、あちこちふらふらしている

自分への最後の挑戦になりますように。

常識なんてない

どうも、しがない人間のたけみです。

 

よくよく見てみたら前回投稿した記事と

内容が大分似ていると思うんですけど、

微妙に違うので(たぶん)

構わず投稿することにしました(笑)

 

意識、という面では同じことだったなと

新たな発見に繋がったので良しとします!

 

 

それでは本題に。

 

世間とか社会とかって、ざっくり言うと

人間の一つの大きい集団のことだと

思うんだよね。

 

集団って必ず自然とルールとか基準とかが

できるのは想像に難くない。

この、自然発生するルールとか基準が

“常識”なんだと私は思うんですよ。

 

今回はその“常識”についてふわふわと

考えてみたいと思います!

 

私たちの行動の基準=常識

あなたは人にぶつかった時、

どういう行動をしますか?

咄嗟に相手に「すみません」

って言いません?

 

それってなんで「すみません」

って謝罪するんでしょ?

 

私が思うに、社会の中で円滑に生活する上で必要なコミュニケーションだから、

謝罪するんだと思います。

なんだ、当たり前じゃないかと

思いましたか?

 

でも、そういったことを知らない、

教わってない人にとっては

当たり前じゃないんですよね〜。

 

例えばご飯はお箸で食べるのが常識だ、

と言う人もいれば、

いや、スプーンで食べるのが常識だ、

と言う人もいる。

 

ね、常識って私たちの行動の主な理由

なのに、バリエーションに富んでいすぎて、常識って統一されていないことに

気づきませんか?

 

常識なんてない

つまり、常識、なーんて言うけど、

そんなものこの世の何処を探したって

出てこないものなんですよ。

 

大きな常識、例えば宗教だったり、

法律だったりとかって、

国や人によって違うものじゃないですか。

もうその時点で、世界共通の常識って

存在しないことが分かると思います。

 

しかも、すべて完璧に守っている人とか

ほぼいないと思います。

なにかしら、妥協しないといけない場合とか

常識内に収まらない事態だって発生する

と思うので。

 

大きな枠組みでさえこうなのに、

家庭レベルの小さな常識はどうでしょうか?

 

自分が常識だと信じてやまないものが、

実は他人の常識じゃないことの方が、

当たり前のように感じる不思議。

 

だから私は常識に囚われたくない

言い換えれば、「当たり前に疑問を持つ」

になると思います。

 

当たり前っていう言葉は便利ですよね。

常識というのとほぼ同じ意味合いでも

使えて、でも常識よりフランクで、

軽い気持ちで相手に自分の価値観を

押し付けられるスタンプみたいな言葉。

 

上記の文章から分かるように私は

「当たり前」という言葉はあまり好きでは

ないです。

これが当たり前、これが常識とか

言われるだけで、それに該当しない人

(マイノリティー)のことは相手にされない、耳を傾けてもくれない。

いくら「そんなことしてない」

と言っていても、知らず当たり前を

強制しているし、心で「非常識だな」

と少なからず思っているわけで。

 

多様化している現代において、

その対応はどうなのかな?って

ついつい考えてしまうんです。

 

だから、常識に囚われない素直さで、

人に接したいと思うんです。

私がそうして欲しかったから。

 

めちゃ簡単に言うと否定したくないんです。

別に肯定しなくてもいい、けれども「そういう人もいるよね」って認めてあげたい。

 

それだけで、もう少し生きやすく

なるんじゃないかなぁって甘い考え(笑)

 

でもほら、肩の力くらいは抜けるでしょ。

 

常識に囚われないって

そういうことだと私は思う。

 

今回はここまで。

読んでくれてありがとう!